忙しさにまぎれて気がついてみれば7年も過ぎていました。

転勤当初は中学3年の娘に小学6年の3男
7年が経過して見ると3男は大学受験 娘は大学3年に

日本庭園のような庭
子供が大学入学と同時に家を離れますので
1人また1人りと大学へ毎回 淋しさもありましたが
4人の子供が全員家を離れることになりました。
ある意味”ほっ”とするような 嬉しいような
大学受験もすんだ 安心感もありました。
単身赴任の夫岡崎市から浜松に転勤が決り
私達夫婦は原点に戻ります。
これから主人と2人だけの生活が始まります。
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〜羽衣伝説〜

その昔、三保の松原のある松の枝に美しい衣が掛かっていました。
漁夫の伯梁がそれを持ち帰ろうとするとどこからともなく
天女が現われ〜「それは私のものだから返してほしい」といいます。
「それならばなおさら返すわけにはいかない」
という伯梁に、天女は天に帰れないと嘆き悲しみました。
伯梁は天人の舞を見せることを条件に羽衣を返すと
天女は喜んで舞を舞って見せましたが、やがて霧の彼方に
消えてしまいました。
〜〜県立美術館〜〜

日本美術 江戸時代から現代、西洋美術は17世紀から現代までの
作品を中心に所蔵しています。
〜駿府城での家康〜

パソ画〜駿府城

≪人質時代≫
家康は今川家の人質として19歳までの12年間を駿府で
過ごしました。
不自由な生活に耐えることで忍耐強い性格をつくり、この時の
臨済寺住職雪斎から教えを受けたことで天下人としての家康が
つくられたともいえます。
≪徳川家康公大御所時代≫
慶長十年1605年将軍職を秀忠に譲り、翌年家康は修築した
駿府城に戻った。
この地で大御所として天下の実権を握り、大阪の陣で豊臣家を
滅ぼし徳川の権力を確実なものとして、翌年元和二年1616年
75歳で(鯛の天ぷらにあたり)その生涯を閉じました。
〜久能山東照宮〜

≪家康公薨去(こうきょ)≫
1616年家康公は75歳で薨去、遺言によりここに葬られました。
「みまかりし後は、柩を久能山に納めて神に祀り、葬儀は江戸・
増上寺、位牌は三河の大樹寺に・・・。一周忌の後は、日光山に
堂を建て我が霊をまねくべし。死して関東の鎮守とならん。」
秀忠の命令により、家康が埋葬されてわずか1年7ヶ月の短期間で
久能山東照宮は造られました。
〜清水次郎長〜

清水みなとの名物は、お茶の香りと男伊達
幕末、明治維新にわたり、東海はもとより、その暴れん坊ぶりは
全国にその名を轟かせた世紀の大親分、清水の次郎長。
浪曲をはじめ、数々の時代劇、映画などによりその武勇伝も
こん日まで多くの人に語り継がれてきました。
〜登呂遺跡〜

弥生時代後期の農耕文化を伝える特別史跡に指定された遺跡です。
住居と高床式倉庫が復元され、水田跡や森林跡も発掘されています。
〜船越公園〜
船越公園からの富士山
近くに桜の名所で知られる船越堤一帯の自然を生かした
総合公園があります。
春には千本の桜が山麓をピンクに染めます。
夜はライトアップされてとても幻想的です
長い7年間でしたこの時期主人は平塚 岡崎と
単身赴任に三男も大学生になりますので
私は主人の転勤先浜松に引越です。
今まで出来なかった勉強や趣味も楽しむつもりです。
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お子さん達が大学生になられると、
ご家族が更に分散して住んでいらしたご様子、
私も転勤族で・・などと言っていたのが恥ずかしい位です!
イギリスへの転勤こそありましたけれど、
毎年のイースター、夏休み、クリスマス休暇を使って、
ヨーロッパ各国を殆ど旅行してこれましたので、
ある意味ラッキーだったように思えます。
因みに沖縄へはしょっちょう出かけていますのに、
海外へはこの30年間、一度も行ってないんですよ〜。
訪問書き込みありがとうございます。
子供が分散する〜この当時〜家族が5ヶ所に住んでいました。
今は社会人の子供が3人と娘は学生ですから〜今も5ヶ所で住んでいます。
私と主人はノンビリと2人で過ごしています。
ヒマワリさんはイギリス滞在中に〜ヨーロッパ〜各国を旅行されたようですね。
転勤で滞在中は〜確かに旅行のチャンスですね〜〜♪
ヨーロッパ旅行〜多いに楽しまれた
のでしょうね〜♪
私もチャンスがあればヨーロッパ旅行を
楽しみたいです。
例え週末毎に御主人様が帰って来て下さっても・・・。
過ぎてしまえば何もかも思い出になりますけど、それは大事に至らなかったからで、みのりさんの辛抱と努力の結果ですね。
訪問書き込みありがとうございます。
だれも知らない〜土地での生活の始まり〜
確かに不安だらけの生活でした。
今思うと4人の子供が〜問題も起こすことなく成長してくれて”ほっ”としています。
主人の留守を守る〜確かに大変な時期もありました。
何があっても子供を守る〜夢を叶えさせる〜今になると〜4人の子供を持てたことが
何よりも”しあわせ”に感じます。