映画村に向かいました。
電車を下りて映画村に向かう途中
”廣隆寺”が見えてきました。

廣隆寺
大きな門の前には聖徳太子と書かれています。

私の頭を聖徳太子の母間人皇后のことが
ふと頭をよぎります。
聖徳太子は数々のお寺を建てたと聞いていました。
ここがそのお寺のひとつなのでは
と興味を持ち子供と2人で”廣隆寺”を見学しました。
見るからに歴史のありそうなお寺です。
門から中に入ると広い庭が見えて来ました。
紅葉しはじめたとても美しい庭です。
さらに奥まで進みますと日本庭園の紅葉も
かなり色づき、その美しいさに、つい見とれてしまいます。
お寺のあちこちを写真に納めました。

庭の紅葉
ここで”廣隆寺”の歴史にふれてみたいと思います。
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〜”廣隆寺”〜
603年今から1400年も前のことです。
聖徳太子建立といわれる法隆寺、四天王寺と並び
仏教が王家に認められた当時の最古とも言える寺院です。
現有の寺院がそのころのものではありません。
残念なことに何度か戦火に逢い消失しています。
”広隆寺の見所はやはり数多くの国宝・重文の仏像でしょう”
〜聖徳太子の母〜

間人皇后
むかし飛鳥王朝時代欽明天皇に
玉のような 美しい皇女がお生まれになりました。
この皇女こそ後に用明天皇の后となり
聖徳太子を生んだ「間人皇后」です。
当時都では蘇我氏と物部氏の権力あらそいが
激しくなり、間人皇女は、争いをさけて
丹後半島最北端の地で過ごした時期もありました。
〜聖徳太子〜

聖徳太子の像
ここで間人皇后の子 聖徳太子について少し触れてみます。
一度に何人もの人の話を聞き分けた人物とも言われています。
また聖徳太子は超能力者という人もいます。
冠位十二階や17条憲法を制定したり
数々のお寺を建てたりと歴史的にも有名です。
”聖徳太子日本の紙幣や切手などにも使われています。”


切手の聖徳太子
聖徳太子が建てた最古とも言えるお寺を見ることが出来ました。
京都日本の歴史にふれてこの旅行中私の心の中は
平安時代に、タイムスリップしているかのようです。
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