すさまじい蝉の鳴き声で 早朝5時に目がさめました。
青空にはレース雲が浮かんでいます。
繊細な木の葉が壁に映り
優しく揺れる影が芸術的です。
山ゆりが1M50cmほど伸びてきました。
つぼみも出来て あと少しで花が咲きそうです。
昨年から冬越しをしたハイビスカス
今年も花を咲かせてくれそうです。
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〜〜和風美人画 右大将道綱の母と和歌〜〜

右大将道綱の母と和歌
和風美人画
第53番
右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)
なげきつつ ひとりぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる
現代語訳
(あなたが来てくださらないことを) 嘆き哀しみながらひとりで夜をすごす私にとって
夜が明けるのがどれほど長く感じられるものか、あなたはいったいご存じなのでしょうか。
*兼家が三夜の間、道綱母を訪れることがなくて、その間さほど身分の高くもない
女性のもとへ通っていたようです。
しばらくして、明け方に兼家が訪ねてきたことがあったときに
兼家を家に入れずにこの和歌を贈りました。
当時の男性の風習として、多くの女性のもとへ通うのは仕方のないこと
自分の気持ちを伝えずにはいられなかった道綱母の哀しさが伝わってきます。

右大将道綱の母と和歌
作者
右大将道綱の母は、右大将である藤原道綱(ふじわらのみちつな)の母親という意味です。
本名は伝わっていません。藤原倫寧(ふじわらのともやす)の娘で
大貴族である藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の側室のひとりで
道綱を産んだことがわかっています。
兼家との恋愛を回想した『かげろふ日記(かげろうにっき)』の
作者としても有名です。
名高い美貌の持ち主で、和歌を詠むのも上手でした。
*日本で最も美しい女性三人のうちの一人であると言われています。
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摂政藤原兼家には6人の妻がいて、この女性はその
一人なのでしょう。
蜻蛉日記の作者とは知っています。この女性の妹が
更級日記を書いたのですね。
ちょうど源氏物語が作られた時代でした。
恋歌の内容はさておいて、御堂関白道長時代を知る
貴重な日記として時折り紐解きます。
コメントありがとうございます。
仕事の後に買い出しで出かけて
お返事が遅くなりました。
”摂政藤原兼家には6人の妻が”
そうなんですか 側室の1人なんですね
すべての妻を回っても6日に1度
訪問するわけですから
寂しいかったのでしょうね
「蜻蛉日記の作者」で妹も更級日記を書て
いるようですね
詳しく教えて下さり感謝しています。
源氏物語と同じ時代の人なのですね
1人の貴族に6人の妻 私には考えられません?!
「百人一首」この時代の歴史も学べますので
これからも楽しみです。
その時代はそれが普通だったのでしょうね。
いつの時代も恋愛は辛いことが多いような気がしますが。。。
↓の和歌にコメントしたのですが、どうしてもエラーになってしまいます。
ごめんなさいね。
台風の行方が気になります。
コメントありがとうございます。
平安時代の貴族に6人の妻が
何人の子供がいたのでしょうね?
確かに恋愛は辛いことが多いかもしれないですね
好きな人のことを思うと涙が出る時も
ありますからね
それでも恋愛はすてきですよね
現在では考える事は出来ませんね
独り寝が寂しければ電話やメールで相手を誘う事が出来ます。
相手の家庭を考えずに、、、、。
コメントありがとうございます。
”それぞれに大和撫子”
確かにそのようですね
平安時代の女性達は耐える人
愛する人のために何時まで待っている人が
多かったようです。
現代の人も学ぶことががあるようですね
今、帰ってきました。
右大将道綱の母、この時代の女性は名前よりもこんな風に呼ばれたんでしょうか?
女性の悲しさ、つらさがたくさんあったでしょうね。
とても綺麗な後ろ姿の絵、
鮮やかな十二一重の絵にも
悲しさが感じられます。
コメントありがとうございます。
この時代の女性はこのような名前で呼ばれて
いたようです。
美しい人でも歌人でも子供の名前の母では
イメージが湧かないですよね
やはり紫式部とか美しい名前で呼びたいですね
後ろ姿に悲しみが感じられますね