Top 転勤シリーズ>♪〜シーボルト〜お滝さんとのロマンス〜♪

♪〜シーボルト〜お滝さんとのロマンス〜♪

長崎での生活も2年がすぎ長崎で生まれた次男も
日に日に元気にくすくすくと成長し
長男は毎日パズルをしたりブロックや砂あそびをしたり
家の中でも兄弟が、まだ幼い弟にお兄ちゃんぶりを

 相変わらず、近所の子供達と公園や夏には遊園地にと
田舎での生活を楽しんでいました。
やはり長崎の人達の人情深さには感謝です。

5月花長崎 033.jpg 

------------------------------------
ブログランキングで1位を目指しています。
応援クリックをお願い致しますm(__)m
★こちらをクリックするだけです★
------------------------------------
 
       【長崎の歴史】

 〜〜シーボルトとお滝さんのロマンス〜〜

 シーボルトは1823年長崎に渡米しました。
シーボルトは来日早々長崎奉行の計らいで出島を出て
日本人の患者を治療することを許されました。
その患者の中に美しい女性がいました。
シーボルトはこの美しい女性に心を奪われました。
このシーボルトとお滝さんのロマンスの中、2人の間に
生まれた娘イネは日本初の女医として知られています。

5月花長崎 019.jpg5月花長崎 015.jpg  

 お滝さんは出島に入ることが出来ない、それで丸山の芸者置き場
引田屋の遊女とゆうことにし、出島に入って2人は結婚しました。
シーボルト29歳お滝さん17歳、シーボルトは故郷へ当てて
「素晴らしく可愛い日本女性と結婚しました。決して彼女以外の
女性を妻に迎えることはないでしょう。」と書き送っています。
シーボルトは、お滝さんを熱愛し、日本で見つけたアジサイの花に
「オタクサ」という学名をつけました。

5月花長崎 100.jpg

 2年後2人の間に女の子が生まれました。
名前をイネと名づけられました。

5月花長崎 017.jpg

 *「鳴滝塾」シーボルトの深い学識を知り、全国から続々と医学生
が集まった。実地に即した臨床医学であり日本最高の水準で
あったと言われています。
出島で過ごしたシーボルトは任期が切れて、オランダへ
帰国することになった。
日本に残していかねばならない、お滝さんと娘イネのこと
当時日本の妻と子どもは、法律上連れて行けませんでした。
シーボルトは何とかともに帰国出来ないだろうかといろいろな
人に相談したと言われています。

        〜シーボルト事件〜
 一時帰国を計画しますが、幕府の禁制の地図、徳川家の御紋入り
羽織などを持ち帰ろうとしたことが問題となり
出島に拘禁された。
「日本に帰化して、日本人になります。と日本帰化を願い出る」が
1830年永久国外追放の処分が決まった。

 お滝さんとシーボルトとの生活は6年半であったと
言われています。
お滝さんは幼いイネを背負い小船に乗ってシーボルトの
乗った船が見えなくなるまで見送ったと言われています。

 やがて時も過ぎ
中国ではアヘン戦争がこのままでは日本は占領されてしまう
シーボルトはペリーとも親交があり
「どうか平和的に、日本に開国を進めてほしい」
とぺリーに進言している
1853年ペリーは黒船に乗って浦賀に来航、大砲をぶっ放し
徳川幕府に開国を迫った。

 やがて日本は開国してシーボルトの国外追放も消されて
約30年ぶりにお滝さんやイネ、かっての弟子達とも
涙ながらの再開をはたしたと言われています。

5月花長崎 063.jpg

 その後2年7ヶ月を日本で過ごしたあと
故郷のドイツに帰り、67歳で病気で亡くなりました。
日本の自然と平和を愛したシーボルト
臨の床で「私は美しいく平和な国へ行く」と呟いたそうです。

 1969年お滝さんも体調を崩し死の床に昔シーボルト
と食べたオランダイチゴを食べたいと
オランダイチゴを食べてこれで思い残すことはないと言って
63歳で亡くなったそうです。

808899659_139.jpg
 写真提供ごぼうの花さん

 シーボルトとお滝さんとのロマンス
しあわせな時間はわずか6年半 愛する2人を
引き裂いてしまうとても悲しい出来事でした。
この時代日本人は外国に行くことも出来ませんでした。
無理やり愛する2人を引き裂く悲しい別れに
今の時代にも語り告がれています。

良ければ↓をクリックして下さると励みになります。

★人気ブログランキング★
posted by みのり at 11:44 | Comment(8) | TrackBack(0) | 転勤シリーズ


この記事へのコメント
この3月長崎に行きました。
実は「フローラ ヤポニカ」を著したりして、植物学上でも重要なシーボルトに興味を抱き、出島や長崎の街を見てみたいと思ったからです。
 吉村昭の「ふぉん・しーほるとの娘」を読むとお滝さんとのロマンスももっと違ったもので、きれい事としては書かれていません。
一度読まれると面白いかもしれません。

ちょこっと見てきただけですが、長崎の街は本当に興味深い街でした。又ゆっくり訪れてみたいものです。。

そうそう、、グラバー邸には日本最古の大きなモッコウバラがありました。
満開の頃、それも是非見たいですね!
Posted by マリリン at 2008年05月15日 23:05
日本から紫陽花を持ち帰り、「おたきさん」と名付けたのが「オタクサ」になったとNHKのシーボルトの足跡をたどる番組で初めて知りました。「ギボウシ」もシーボルトがヨーロッパへ紹介した植物で、今や大人気になったとその番組では紹介していました。
Posted by アルバ at 2008年05月16日 00:07
マリリンさん
書き込みありがとうございます。
3月に長崎に行かれたんですね
”「フローラ ヤポニカ」を著したりして、植物学上でも重要なシーボルトに興味を抱き、
出島や長崎の街を見てみたいと思ったからです。”
やはり歴史を調べてから観光すると、何倍もその美しさに感動しますよね〜

 ”吉村昭の「ふぉん・しーほるとの娘」”また機会があれば読んで見たいと思います。
娘イネは26才で未婚の母となり生涯独身で医学の道を歩んだと言われています。
みのり
Posted by at 2008年05月16日 09:35
アルバさん
書き込みありがとうございます。
「アジサイ」〜シーボルトはお滝さんと発音が出来ず「オタクサ」となつたと書かれていました。
また。「ギボウシ」もシーボルトがヨーロッパへ紹介した植物なんですね〜知りませんでした。

みのり
Posted by at 2008年05月16日 09:41
シーボルトとお滝さんのロマンスの話は知りませんでした。また長崎にまつわる話があったら教えてください。
Posted by ハート at 2008年05月16日 12:43
ハートさん
書き込みありがとうございます。
長崎の歴史を調べてみると本当にたくさんの話があり〜なかなか次ぎへ
と進めません。また見て下さいね〜
みのり
Posted by at 2008年05月16日 13:22
「美しいく平和な国」

であってほしい...
Posted by ごぼうの花 at 2008年05月17日 07:53
ごぼうの花さん
書き込みありがとうございます。
シーボルトが最後に語った〜「美しいく平和な国」へ〜
そうですね〜日本は美しく平和な国であって欲しいですよね〜♪
私もそう思います。
みのり
Posted by at 2008年05月17日 19:45
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック